Touch the Heartstrings

心の琴線に触れる森羅万象を日々書き綴る「Touch the Heartstrings」

ドキュメンタリー映画2作品

今年の5月には、上質のドキュメンタリー映画が2本公開される。靴にフォーカスした「私が靴を愛するワケ」とイームズ・チェアで有名なチャールズ・イームズとその妻レイのイームズ夫妻の素顔に迫る「ふたりのイームズ:建築家チャールズと画家レイ」だ。

いつの世も女性のハートを魅了する官能的な靴の存在。これまでも「靴に恋して」など魅力的な靴を題材とした映画は数多く制作されてきたが、この度「靴と女性の魅惑の関係」に迫った世界初のドキュメンタリー映画が公開される。

この作品は、2011年9月のパリ・ファッションウィーク開催期間中にプレミア上映された作品で、「私が靴を愛するワケ」という邦題になって日本に上陸する。

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マリリン・モンロー、ソフィア・ローレンス、バービー、また、「セックス・アンド・ザ・シティ」の主人公たちのようにゴージャスなセレブ達の足元には常にセクシーなハイヒールがあり、それぞれの時代を彩ってきた。そして、多くの女性は美を追求し、気持ちも踵も底上げしてくれるハイヒールを履いてきた。靴の魅力について、心理学や社会文化的、エロティックな側面から追求し、靴が多くの女性を惹きつける理由を紐解くため、靴の分野で活躍する人物にインタビューがされている。

「クリスチャン・ルブタン」「マノロ・ブラニク」「ピエール・アルディ」「ロジェ・ヴィヴィエ」といった、女性たちが一度は履いてみたいと憧れるブランドを手がけるスター・デザイナーたちや、人気ヒップホップグループのブラック・アイド・ピーズの紅一点として、また、オシャレセレブリティとして注目を集めているファーギーや、バーレスクを復活させたとして「クィーン・オブ・バーレスク」の名で呼ばれるディタ・フォン・ティースを始めとする錚々たるセレブたちが、多くの女性を虜にしてきた「靴」の魅力を語り尽くす。

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ファーギーは、「靴は私というものを表現するのに欠かせないものよ」と言い、ディタ・フォン・ティースは、「靴が自分の人生を変えてくれる…だから私は靴に夢中になるの」と、また、「靴はただ単に歩くためだけのものではない。女性も男性も、靴にフェティシズムを感じるんだ」と、クリスチャン・ルブタンは語る。

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作品は、熱狂的な靴愛好者をはじめ、ファッション史家や編集者、心理学者、セックス専門家からの視点も絡めて構成されており、多彩な人物たちのインタビューを通じて、様々な視点から靴の魅力の謎を追い、ポップに、心理学的に、そして、歴史的、さらには「フェティシズム」をその考察に交えつつ、「靴と女性の魅惑の関係」が描かれる。

全世界の女性たちを虜にしてしまう「靴」。そんな靴を愛するすべての女性たちに贈る、珠玉のドキュメンタリー作品に仕上がっている。この作品の鑑賞後には、シューズショップに直行する女性が大勢いることだろう。

もう1つの作品は、ミッドセンチュリー・モダンの旗手と呼ばれたイームズ夫妻の魅力やイームズ・チェアの誕生秘話が明かされるドキュメンタリー作品「ふたりのイームズ:建築家チャールズと画家レイ」。

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チャールズ・イームズは、デザイナー、建築家、映像作家であり、妻のレイ・イームズと共に積層合板やプラスチック、金属といった素材を用いて、20世紀における工業製品のデザインに大きな影響を与える作品を数多く残している。

ちなみに、1925年から1928年の間、奨学金を受けセント・ルイスのワシントン大学建築学科へ通ったチャールズは、研究課題として建築家のフランク・ロイド・ライトを取り上げることを教授らに提案したが、近代建築に過度に熱を上げ過ぎ、ある教授からは「彼の物の見方はモダンすぎる。」との理由で退学となってしまうというエピソードが残されている。

ヨーロッパ旅行へ行きモダニズム建築に触れ、その後、1930年セント・ルイスで建築設計事務所を開設。設計した聖メリーズ教会が「アーキテクチュアル・フォーラム」に取り上げられ、それを見たエリエル・サーリネンが手紙を送ったことでサーリネンとチャールズの交流が始まった。

フィンランド人の建築家であるエリエル・サーリネンはチャールズ・イームズに大きな影響を与えた人物である。後に、サーリネンの息子エーロ・サーリネンとチャールズはパートナーとなり親友となった。

1940年にチャールズはエーロ・サーリネンとともに、ニューヨーク近代美術館開催の「オーガニック家具デザイン」コンペに応募。成型合板を使った椅子、棚、机を出品し、6部門中2部門で優賞した。彼らの作品は、アルヴァ・アールトの開発した木材成型の新技術を見事に利用し、3次元の立体曲線によって背面と座面、肘掛けを継ぎ目なしで繋いだ物であった。

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カリフォルニア州サクラメント出身のレイ・カイザーと再婚したチャールズは、生涯にわたる活動拠点となるロサンゼルスへと移住。メトロ・ゴールドウィン・メイヤーの美術部に勤めながら、合板を使った家具の大量生産に向けた製作に取り組み始めた。その後、合板の成型装置を発明するなど成型合板の技術を発展させ、多くの製品を開発した。その作品は、椅子をはじめとする家具にとどまらず、彫刻作品、骨折時に使う添え木や担架、飛行機の部品にまでおよび、中でもプライウッドによる足の骨折時の添え木「レッグ・スプリント」は海軍で採用され、第2次世界大戦終了までの間にのべ15万本以上も製造された。「レッグ・スプリント」はイームズの手がけた最初の大量生産品でもあった。

積層合板を使った製品の大量生産の実現に努める一方で、1942年からはジョン・エテンザが中心となりロサンゼルスで発行されていた芸術雑誌「アーツ&アーキテクチャー」の編集に加わる。そして、1949年にはその企画であるケース・スタディ・ハウスに参加し、自邸である「No.8」を手掛ける。

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太平洋を見下ろす崖の上に建てられたイームズ邸は、建築費を抑えるため、鉄骨から内装材に至る、その部材の全てがアメリカ国内で流通していた既製品によって構成されており、工業化時代の新しい建築のあり方を示すものとして、記念碑的な位置づけをされている。

また、1950年代もイームズ夫妻は建築、家具のデザインを続け、初期に手掛けた合板加工だけでなく、プラスチックや繊維強化プラスチック、ワイヤーを素材とした椅子をデザインし、家具メーカーのハーマンミラー社に提供している。そして、数多くの名作が誕生した。

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一方、ショートフィルムの製作にも興味を示し、1960年代以降は、ショートフィルム製作と展覧会プロデュースを主な活動とした。彼らの作品は想像力に溢れ、実験的であり、当時チャールズが講師を勤めていたカリフォルニア大学バークレー校では教育の場にも用いられた。

チャールズ・イームズは、1978年8月21日に故郷セントルイスへの帰省中、心臓発作で息を引き取った。現在は、「セントルイス・ウォーク・オブ・フェーム」にその名を刻まれている。また、妻のレイ・イームズが息を引き取ったのは10年後の、奇しくもチャールズと同じ日付の1988年8月21日であった。

家具をはじめ、おもちゃや建築、映画と多岐にわたる作品を生み出し、1940年代から1960年代にかけてアメリカの近代主義から生まれた新しいデザインの潮流ミッドセンチュリー・モダンを牽引したデザイナーのイームズ夫妻。「ふたりのイームズ:建築家チャールズと画家レイ」では、チャールズとレイの死後、初めて明かされる2人の手紙や写真、美しい作品の数々が登場する。

当時、イームズ・オフィスにいたスタッフや家族へのインタビューを通じて、イームズ夫妻の側面に迫るドキュメンタリー作品。ちなみに、ナレーションは「スパイダーマン」シリーズのハリー役で世界的に知られるようになり、2010年公開の「127時間」でアーロン・ラルストンを演じアカデミー主演男優賞にノミネートされた俳優のジェームズ・フランコが担当している。

なお、2作品とも5月11日より公開される予定である。