ブライアン・デ・パルマ
映画監督のブライアン・デ・パルマは1940年9月11日生まれ。つまり、今日が74歳の誕生日。イタリア系の外科医の家庭の三男として生まれる。ただ、デ・パルマに対する両親の関心は薄く、その2人も幼い時に離婚し、けっこう複雑な家庭に生まれ育ったようだ。
幼少の頃、父の仕事の都合でペンシルベニア州フィラデルフィアに移住。小中高とクエーカー系の私立学校に通っていたが、一家の宗教的なバックグラウンドはカトリックであり、イタリア語を話す祖父母と共に教会へ通っていた。
少年時代は数学や工学に情熱を注ぎ、科学博などで論文が高い評価を受ける一方で、父親の職場に出入りし手術を目の当たりにして血への免疫を培ったという。17歳の時、論文「微分方程式の解法へのサイバネティックスの応用」でデラウェア・ヴァリー科学博のゴールドメダルを獲得。
その後、コロンビア大学で物理学や工業技術を専攻していたが、在学中にアルフレッド・ヒッチコック監督作品「めまい」やオーソン・ウェルズの処女作であり、自ら製作・脚本・主演を務めた「市民ケーン」に感動したデ・パルマは、16mm映画を撮影するようになり、短編実験映画「ウォートンの目覚め/Woton's Wake」がローゼンソル財団賞をしたことに自信をつけた彼は、これをきっかけに舞台監督のウィルフォード・リーチのもとで本格的に映画を学び始めた。
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