Touch the Heartstrings

心の琴線に触れる森羅万象を日々書き綴る「Touch the Heartstrings」

クリコ未亡人

フランス北部シャンパーニュ=アルデンヌ地域圏マルヌ県ランスの銀行家だったフィリップ・クリコ=ムーリオンが1772年に結婚した相手が葡萄畑を所有していたことがきっかけとなり、シャンパンを造るようになったのが「ヴーヴ・クリコ(Veuve-Clicquot)」の始まり。

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クリコ氏は大変なやり手で、1775年には世界で初めてロゼ・シャンパーニュを出荷。このフィリップ氏の息子フランソワは、ニコル・バルブ・ポンサルダンという女性と結婚したが、フランソワがシャンパーニュ業に専念しようと決意して1年も経たないうちに幼い娘を残して死去。夫人はこのとき27歳という若さだった。彼女は夫のシャンパーニュにかける熱い思いを受け継いで3代目社長となり一念発起。

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当初は「クリコ」の社名で設立されていたが、1810年に「ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン」と改名。ちなみに、「ヴーヴ・クリコ」の「ヴーヴ」は「未亡人」という意味で、「クリコ未亡人」というユニークなネーミングである感は否めない。

1815年まで続いたナポレオン戦争前後に生産数及び販売数を拡大し、ロシア帝国王室への売り込みにも成功。「ロシアの上流階級はクリコしか飲まない」と言われるようになる。そして、諸外国への輸出量も増加。第一次世界大戦第二次世界大戦で葡萄畑や生産施設にダメージ受けたが、その後、見事に復活した。

現在、どのシャンパーニュ造りの工程でも行われている「ルミアージュ(動瓶)」は、メゾンの技師アントワーヌ・ド・ミュレが考案。この技術により、それまで「澱(オリ)」が多く薄く濁っていたシャンパーニュが透明になった。

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