Touch the Heartstrings

心の琴線に触れる森羅万象を日々書き綴る「Touch the Heartstrings」

フライト

昨日、日本最大の映画賞「第36回日本アカデミー賞」の授賞式が行われた。日本のメディアは、昨年7月の舞台挨拶以来、8カ月ぶりに公の場に姿を現した沢尻エリカが終始にこやかだったとか、胸元露わなベージュのドレスで登場ってな記事がけっこう多い。沢尻エリカって、まだそんなにニュース性があるのか個人的には理解できない。欧米でもセレブのファッションやゴシップは大好物なのだろうが、そんな報道をするマスコミとそんなネタに喜ぶ庶民の品性ってどうなのよと少々嘆かわしいが、これが現実なので仕方ない。

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1月に発表されていた優秀賞では、12賞を受賞した最多受賞作品が「あなたへ」「北のカナリアたち」「わが母の記」の3作品となる混戦様相を見せていた。ちなみに、「あなたへ」で優秀主演男優賞を受賞する予定だった高倉健は、第25回の同賞の「ホタル」で辞退したときと同じように「後輩の俳優に道を譲りたい」と受賞を辞退していた。結局、作品賞・監督賞は「桐島、部活やめるってよ」と同作品の監督の吉田大八に決定。助演男優賞と助演女優賞は「あなたへ」から、故大滝秀治余貴美子、そして、主演女優賞は「わが母の記」の樹木希林が受賞した。なお、授賞式では「来年が大変。私は全身癌ですから。来年の司会は確約できない」と衝撃の告白が飛び出し、会場がざわめいた。病状は落ち着いており、深刻ではないと言うが、夫の内田裕也よりロックンロールな発言であることは間違いない。

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「桐島、部活やめるってよ」という映画を観ていないので何とも言えないが、作品賞・監督賞以外にも、最優秀編集賞、優秀脚本賞、新人俳優賞優秀賞、話題賞も受賞。また、第34回ヨコハマ映画祭作品賞および監督賞を受賞し、第67回毎日映画コンクールでは、日本映画優秀賞および監督賞を受賞、菊池宏樹役の東出昌大もスポニチグランプリ新人賞を受賞している。公開後は口コミにより話題となり、8か月にわたりロングラン上映された作品という。ま、映画は良い悪いというより、好きか嫌いかで評価が分かれるモノだから、この作品を好きな人が多かったという事なのだろう。ちなみに、個人的には主演男優賞を阿部ちゃんが受賞したことが嬉しい。

さて、本場の第85回アカデミー賞では主演男優賞と脚本賞にノミネートされた「フライト」だが、残念ながらオスカー受賞は逃してしまった。他の作品との巡り合わせもあるのだろう、これは不運としか言えない。しかし、素晴らしい作品であることは間違いないし、デンゼル・ワシントンの演技は多くの人の胸を打つ。

1985年の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のヒットで一躍メジャー監督とみなされ、1994年の「フォレスト・ガンプ/一期一会」ではアカデミー賞の作品賞・監督賞を受賞したロバート・ゼメキス監督が、久々に手掛けた実写映画である。

2009年1月15日午後3時30分頃、ニューヨーク発シャーロット経由シアトル行きのUSエアウェイズ1549便はラガーディア空港離陸直後、バードストライクによって両エンジンがフレームアウトし、飛行高度の維持が出来なくなった。副操縦士らは事態の改善に努力したがエンジンは再始動せず、不時着しか手段が無いと判断した機長は乗客に「衝撃に備えて下さい」と伝え、異常発生から約3分後にハドソン川へ滑走路着陸時と同様の滑るような着水をした。これは「ハドソン川の奇跡」と呼ばれる実話である。

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事故当時は真冬であり、氷点下の気温・水温の中で着水・浸水した為、乗客は無事着水した喜びもつかの間、浸水・沈没の恐怖と身を切るような寒さに晒されるたが、着水地点がたまたま水上タクシーや観光船、マンハッタン島とニュージャージーを結ぶ水上バスのマンハッタン側の発着場に近く、また、ニューヨーク市消防局やアメリカ沿岸警備隊の警戒船や消防艇が停泊する港に近かったため、船での救援活動が迅速に行え、機体が沈んでしまう前に乗員乗客全員を無事に避難させることができた。

その後、機長のチェズレイ・サレンバーガーは様々な表彰を受け、事故の5日後に行われたオバマ大統領の就任式にも招待された。2009年10月1日にサレンバーガー機長は事故を起こした1549便と同じ路線で操縦士として復帰。機長の復帰フライトでは事故当日と同じスカイルズが副操縦士を務め、事故機の乗客のうち4名が搭乗。サレンバーガー機長が機内アナウンスで自己紹介を行うと、客室内では拍手と歓声がわき起こった。

一方、フロリダのオーランドからアトランタに向かう旅客機を操縦する一流の操縦テクニックを誇るウィップ・ウィトカー機長。この日も激しい乱気流を鮮やかに切り抜け、機体が安定させることに成功したウィトカーは乗客から喝采を浴びる。しかし、その後機体に異常が発生し、急降下を始める。制御不能に陥った機体から車輪を出し、燃料を捨て、あらゆる手段で速度を落とそうとしたが、降下は止まらない。緊迫するコックピットでウィトカーは咄嗟の判断で機体を180度回転させ背面飛行を決行。高度が水平に保たれた機体を元に戻し、前方に現れた草原に決死の不時着陸を敢行し成功させる。最小の被害で食い止め、乗員乗客102名のうち、生存者は96名。

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10人のパイロットが不時着時のフライトシミュレーションを試みても、10人全員が失敗し乗員乗客全員が死亡するという結果の出た、まさに奇跡の操縦を遣って退けたウィトカー機長。多くの乗客の命を救い、マスコミからは称えられ、一躍国民的ヒーローとなった。まさに「ハドソン川の奇跡」の再来のような出来事だが、映画「フライト」は一筋縄ではいかない。ウィトカー機長はある秘密を抱えていたのだ。

アルコール依存症は飲酒などアルコールの摂取によって得られる精神的、肉体的な薬理作用に強く囚われ、自らの意思で飲酒行動をコントロールできなくなり、強迫的に飲酒行為を繰り返す精神疾患である。世に言う「アル中」をテーマに扱った映画は多い。そして、ウィップ・ウィトカー機長も典型的なアルコール中毒の人物。嘘をつき、ごまかし、上塗りするために言い訳を繰り返す男。己の非を自覚しているにもかかわらず他人の前では虚勢を張り、そして、期待を踏みにじり、信頼を裏切ってもなお態度を改めようとせず、現実から目を背け自分から逃げ続けるが、偶然の事故から嘘を積み重ねてきた過去と向き合い、結局すべてを清算せざるをえない立場に追いやられる。

「フライト」というシンプルなタイトルからは、航空アクションのパニック映画を連想させるが、それは序盤だけのお話。本当の物語はウィトカー機長がヒーローになってからだ。

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事故当日の朝も密かに付き合っているCAのトリーナと一緒に過ごしていたが、彼女が事故で亡くなった1人だと知り、激しくショックを受けるウィトカー。

後日、事故原因は機体の故障と判明するが、ウィトカーの血液中から高いアルコールが検出され、血液検査の結果が公になれば、ウィトカーは過失致死罪に問われ終身刑となる可能性もある。事故に関しての公聴会が開かれることになるが、航空会社と組合はこの不都合な事実を隠蔽することを選択し、弁護士のラングや友人でもあるパイロット組合の幹事チャーリーからは「アル中」の事実を隠せと説得されるウィトカー。そして、何となく「アル中」と気がついている客室乗務員や副操縦士に自分に有利な発言をするように依頼をしてしまう。

劇中、薬物依存症に苦しむ1人の女のドラマが並行して描かれている。薬物過剰摂取で病院に担ぎ込まれた女は事故現場から搬送されたウィトカーと偶然に出会ったことがきっかけで、やがて彼女は薬物中毒から更生の道を歩んでいく。しかし、刑務所へ送られるかもしれないという不安から逃れることのできないウィトカーは、彼女とは対照的に益々アルコールに溺れていく。「アル中」の哀れさを誘う悲しいシークエンスである。

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その後の事故調査により、トラブルにより飛行中の飲み物サービスは停められていたにもかかわらず機体から空になったウォッカの小瓶が発見される。このボトルに触れる機会があるのはごく一部の関係者に限られる事実がウィトカーを追い詰める。実際、ウィトカーが機内アナウンス時にジュースに混ぜて飲んでいたのだ。

公聴会前日まで禁酒に成功していたウィトカーだが、観客の予想通りアルコールの誘惑に負けてしまうウィトカー。頭では理解しているが酒瓶を目の前にするとすべてを忘れ、抑えきれなくなってしまう「アル中」患者特有の感情と習性が非常にリアルに描かれている。朝になっても部屋から出てこないウィトカーを案じたラングとチャーリーは、部屋の中で酔いつぶれたウィトカーの姿を発見し唖然とする。これで、すべてが終わった。公聴会の始まる時間はもうすぐだ。

ウィトカーがどのようにして正気を取り戻すかは、スクリーンで観てもらうしかないが、度々登場する怪しげなクスリ売人で陽気な友人のハーリンが抜群の活躍を披露する。ストーリーの緩急には貴重な存在である。

事故後の疑惑から事故調査委員会との攻防、そして、公聴会へと至る展開は息詰まる法廷サスペンス映画の様相を呈するが、この作品は航空機事故のパニック映画でも手に汗握る法廷劇でもない。1人の弱い男が抱える心の闇を鋭く抉るヒューマンドラマと言える。

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公聴会では、案の定発見されたウォッカのミニボトルについて言及されるが、これが仕組まれたものなのか本当の事なのか分からなかったが、ウィトカーも知らない新事実が公表される。そのことを知ったウィトカーが、男としての最後のプライドをどのような行動で示したか…これは観てのお楽しみ。神に力を与えてくれと思わず呟いてからのシークエンスには圧倒されること間違いない。「真実は人を自由にする」とは重い言葉である。

称賛されたまま嘘の人生を貫くか、糾弾されても正直に生きるのか、弱さと良心との間で揺れ動くウィトカーの心理が見事に描かれ、デンゼル・ワシントンの迫真の演技が観客の心を鷲掴みにする。上映時間は2時間18分、まったく長く感じない。

ヒットする映画は、スペクタクル・シーンに、人間がきちんと描かれたドラマがあることだという。航空機パニックものとなる序盤の見せ場と法的問題を避けられるかどうかのサスペンスとなる中盤、そして、1人の人間として良心を問われる終盤と、3つの美味しさを味わえる満足度の高い作品であり、ヒットする要素がてんこ盛りの映画であることは間違いない。

余談ながら、淫靡な雰囲気のオープニングシーンに登場する30歳を超えているとは到底思えない、ナディーン・ヴェラスケスのパーフェクトなプロポーションに生唾を飲み込んだ男性も多いはずである。お見逃しなく!

善と悪の境界線は曖昧で、人間はどちら側にも転びうる存在。神業操縦で多くの乗客の命を救ったパイロットのアルコール依存症者を通して、真の正義を問うロバート・ゼメキス監督の「フライト」。傑作だ。