Touch the Heartstrings

心の琴線に触れる森羅万象を日々書き綴る「Touch the Heartstrings」

TOD'S

以前はイタリアのプロサッカーリーグ「Serie A(セリエA)」インテル・ミラノの役員だったディエゴ・デッラ・ヴァッレ。彼は2002年にトスカーナフィレンツェを本拠地とするフィオレンティーナの破産を受けて新たに設立されたフロレンティア・ヴィオラの経営権を買い取り、4部リーグ「セリエC2」からクラブの再建を引き受けることとなった。

デッラ・ヴァッレは名門再建プロジェクトを積極的に展開し、2002-03シーズンで「セリエC2」優勝。また、2003年には債権者の手に渡ったフィオレンティーナの商標権を入札により250万ユーロで獲得し、2003-04シーズンからは再びフィオレンティーナとして戦うことになった。

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特例によりこのシーズンは3部ではなく2部の「セリエB」に編入された。いきなり2つ上のリーグで戦うことになったフィオレンティーナは苦戦するも、なんとか「セリエA」下位クラブとのプレーオフ権が与えられる6位を確保。プレーオフではACペルージャを下して3季ぶりに「セリエA」へ復帰することとなった。

2004-05シーズンには中田英寿など数多くの有力選手を一気に獲得して「セリエA」を戦ったが、急造チーム故なかなか勝ち点を獲得出来ず、また、大型補強により加わった新加入外国人選手達と、それにより出場機会を奪われた「セリエB」時代からクラブを支えていたと自負する一部のイタリア人選手達との間に軋轢が生じ、ロッカールームの空気もまとまりにかけるものであり、シーズンを通して残留争いをすることとなる。結果、フィオレンティーナは最終節で勝たなければ再び降格という所まで追い詰められたが、最終節で残留を決めることとなった。

ただ、この苦戦の裏には、ユヴェントスのオーナーが仕掛けた審判による八百長、いわゆる「カルチョ・スキャンダル」が存在していた。イタリアサッカー界の一大スキャンダルにまで発展した「カルチョ・スキャンダル」は、ユヴェントスのルチアーノ・モッジ元GMやアントニオ・ジラウド元CEOらが主犯格とされ、組織的に審判を買収、脅迫し、自チームに有利な判定を行うよう指示するというもの。「イタリアサッカー協会 (FIGC) 」の元会長であるフランコ・カッラーロや「審判協会 (AIA) 」の元会長であるトゥッリオ・ラネーゼもこれに協力していたとされており、イタリアサッカー界の腐敗体質が世に知れ渡ることとなった。ユヴェントスの他にも、ACミランフィオレンティーナラツィオレッジーナが関与していたとされる。

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翌年のシーズンには、前年度の低迷を受け、クラブは幹部の大刷新を行った。オーナー兼会長であったディエゴ・デッラ・ヴァッレは名誉会長に退き、実際的なクラブの舵取りは、副会長であった弟のアンドレア・デッラ・ヴァッレに譲りアンドレアが会長に就任した。

しかし、スキャンダル発覚後は関係クラブの降格や多くのクラブ関係者や審判員の辞任やペナルティが相次いだ。デッラ・ヴァッレ兄弟にも5年間の活動禁止や5,000ユーロの罰金が言い渡された。

このディエゴ・デッラ・ヴァッレという人物、実は高級ブランド「TOD'S」グループを経営する大富豪。歴史的な靴の産地であるカゼッテ・デテに生まれ、祖父の代から続く家業の靴の製造業に20代で参加した彼が目指したのは、現代のライフスタイルにマッチした製品の開発と新しいビジネスモデルの実現。

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そして、1979年に発表した革の間にゴムの滑り止めを埋め込んだ「Pebbled sole」のドライビングシューズ「ゴンミーニ」がブランドとしての「TOD'S」のスタートとなった。そして、男性顧客の獲得にも積極的で、フェラーリとのコラボレーションモデルなども発売された。ソフトなフィット感で「まるで手袋をはめたよう」と称されたそのドライビングシューズは、上質な素材と美しい色、スポーティかつエレガントなルックスでヨーロッパを中心に支持を集め、これが世界中に人気を獲得することになった。その後ブランド力を拡大、同じモチーフを使った女性用バッグなども好評。2000年には「TOD'S」グループを設立し、ミラノ証券取引所に上場。ちなみに、「TOD'S」というシンプルでキャッチーな名称は覚えやすく、世界共通の発音がしやすいためといわれているが、ネーミングはアメリカの電話帳で偶然みつけた名前に由来するという。

ブランド開始時、わずか1000足でスタートした「ゴンミー二」は、20年後には世界で約200万足を販売するベストセラーアイテムに化けた。ブランドが急成長を遂げていく中でも、ディエゴが信念として持ち続け実現していったのは、革製品づくりの伝統の継承と「美しい製品は良い環境から生まれる」という職人たちへのリスペクトの精神に他ならない。

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「糸一本からメイド・イン・イタリー」をモットーに、全製品のパーツすべてにイタリアの素材を使用することに加え、本社と工場のあるカゼッテ・デテには従業員たちのジムや託児所などを完備。製品を送り出す側にも最高の環境を整えることで、顧客にも最高の製品が届けられるという、彼の崇高な哲学がブランドの屋台骨ともなっている。最新の流行を取り入れながらも、時をこえて生き続けるクラフツマンシップの誇りを大事にする。そんな「TOD'S」のフィロソフィは、これからも脈々と受け継がれていくことは間違いない。

今春、イタリア・エレクタ社から発行されるダイアナ元妃の写真集「TIMELESS ICON(タイムレス アイコン)」に「TOD'S」が協賛することを発表。ダイアナ元妃は英国王室の一員ながら信念を持って様々な社会貢献活動に取り組み、「真の人格者」として多くの人々を魅了。「TIMELESS ICON」は、時代を超えてアイコニックな存在として親しまれているダイアナ元妃の歴史的写真を一冊にまとめたフォトブックだ。

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創業以来クラフトマンシップを重んじる「TOD'S」もまた、CSR活動に積極的に取り組み、価値観とスタイルはダイアナ元妃の哲学と共通するものがあることから、「このプロジェクトに協賛することは、必然的なことであり、大変有意義なことである」とコメントする。

ちなみに、「TOD'S」とダイアナ元妃は生前から関わりがあり、「TOD'S」のアイコンバッグ「D-BAG」はダイアナ元妃から命名。ダイアナ元妃は公務時のほかプライベートでも「TOD'S」のバッグやシューズを愛用していたという。写真集には、「TOD'S」のアイコンシューズ「ゴンミーニ」を履いて地雷撲滅運動に参加した際のダイアナ元妃の姿なども収録されている。

1997年8月31日にパリ市内のトンネル内で交通事故を起こし、36歳という若さで急逝したダイアナ元妃。今春、彼女の笑顔が「TIMELESS ICON」で甦る。