Touch the Heartstrings

心の琴線に触れる森羅万象を日々書き綴る「Touch the Heartstrings」

ブリッジ・オブ・スパイ

激化していた米ソ冷戦が、ソ連ニキータ・フルシチョフ首相の訪米などで一時期緩和されていた時期、アメリカはソ連に「ミサイル・ギャップ(技術格差)」をつけられたという認識が高まり、ソ連の戦略ミサイルを徹底的に監視することで安全保障を確保する方針を固めた。

当時、ロッキード社で開発された高層気象観測機とされていた「U-2偵察機」は、その塗装から「黒いジェット機」の異名もある「F-104」をベースに開発されたスパイ用の高高度偵察機で、ソ連領内のミサイル配備状況などの動向を探っていた。

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そして、1960年5月1日にソ連を偵察飛行していたアメリカ合衆国の「U-2偵察機」が撃墜されるという事件が起こり、偵察の事実が発覚。予定されていたパリでの米ソ首脳会談が中止されるなど大きな影響があった。所謂、「U-2撃墜事件」と世間で呼ばれている事件である。

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