パリが愛した日本人
藤田嗣治(つぐはる)は、戦前よりパリで活動、猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴び、フランスでもっとも有名な日本人画家である。
藤田は子供の頃から絵を描き始め、そして、高校を卒業する頃には画家としてフランスへ留学したいと希望するようになる。しかし、知人の薦めもあり東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)西洋画科に入学。
しかし、当時の日本画壇はフランス留学から帰国した黒田清輝らのグループにより性急な改革の真っ最中で、いわゆる印象派や光にあふれた写実主義がもてはやされており、表面的な技法ばかりの授業に失望した藤田は、それ以外の部分で精力的に活動した。
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