ウィレム・デ・クーニング
ウィレム・デ・クーニングはオランダ出身の主にアメリカで活動した画家である。抽象表現主義の画家として、具象とも抽象ともつかない表現と激しい筆触が特色。
デ・クーニングはジャクソン・ポロックと並ぶ、顔料を紙やキャンバスに垂らしたり飛び散らせて描く「アクション・ペインティング」の代表的作家であり、抽象表現主義の創始者の1人として、20世紀美術史の上に重要な位置を占めている。
青年期はオランダの商業美術の会社で働くかたわら、ロッテルダム美術工業学校の夜学で学んだデ・クーニングは、20歳前半に渡米し、以後はアメリカで活動するが1930年代半ばまでは商業美術の仕事で生計を立てていたが、フランクリン・ルーズベルトが世界恐慌を克服するために行った一連の経済政策であるニューディール政策の一環で、失業者救済にあたった「WPA(雇用促進局/公共事業促進局)」が打ち出した芸術家支援計画の1つである「連邦美術計画(フェデラル・アート・プロジェクト)」により支援された美術家の1人として知られる。
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