Touch the Heartstrings

心の琴線に触れる森羅万象を日々書き綴る「Touch the Heartstrings」

エルメネジルド・ゼニア

バブル時代、にわか成金たちのファッションはヴェルサーチやアルマーニの吊るしの服をこれ見よがしに着ていたものだ。バブルに踊らされない本物の品あるセレブは「エルメネジルド・ゼニア(Ermenegildo Zegna)」の高級でシックな生地を昔から贔屓のテーラーで仕立てていたに違いない…と、勝手に思っている。

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ちょっと言い辛いネームだが、エルメネジルド・ゼニアは1910年に北イタリアで創業された、世界中にその名を響かせるイタリア最高峰服地メーカー。今ではミラノに本社を置くイタリアを代表する世界的ファッションブランドとして有名である。

ファミリービジネスとして始まったエルメネジルド・ゼニアの歴史は19世紀後半にまで遡る。時計製造を営んでいたアンジェロ・ゼニアは、4台の織機を使いウールの製織を始めた。そして、この工場を引継ぎ、後にイタリアで最も有名でダイナミックなファミリー企業に育て上げたのが、アンジェロ・ゼニアの10番目の末息子で1892年に誕生したエルネメジルド・ゼニアである。

1910年に18歳の若き起業家エルメネジルドは、ビエラ近くのアルプス山麓に位置するトリヴェロの地に「ラニフィーチョ・エルメネジルド・ゼニア(ゼニアの服地工場)」を設立。エルメネジルドは、4台の織機を使いファブリックの生産を始めた。これらのファブリックは「世界で最も美しい」ものとなり、今日でもゼニアのファブリックはイタリアが誇る輸出品の1つであり、赤い蝋の印章によって国際的にも認知されている。

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また、エルメネジルドは時代に先駆けての国際的なビジョンを持っていた。それは、最高級の天然繊維を原産国から直接買いつけ、製品と技術の革新を推進し、積極的なブランド戦略を行うというもの。このビジョンが、完全な垂直統合システムを実現し、イタリアの最も著名なファミリー企業の土台となる。

そして、間もなくエルメネジルドの戦略が成功へとつながった。彼の国際的ビジョンにより「エルメネジルド・ゼニア」のファブリックは1938年にアメリカに輸出されるまでに成長し、1945年までには40カ国以上で販売されるようになった。その高品質のゼニアの生地を世界のトップブランドが放っておく訳がなく、「キートン」「エルメス」「ヒューゴボス」「アルマーニ」「ラルフローレン」「ブリオーニ」などがゼニアの生地を挙って使用するようになった。

エルメネジルドの卓越したビジネスマインドは事業領域にとどまらず、自分が製品に求める品質は地域と地域社会との良好な関係と切り離せないことを理解し、自然環境の美しさと自社の従業員のみならず、すべての人々の幸せが長期的な成功を目指す企業にとって不可欠であることを把握していた。

1932年にはトリヴェロにはすでにエルメネジルドによって、集会場、図書館、体育館、映画館/劇場、公営プールが完備され、その数年後には医療センターや保育園が設けらた。また、エルメネジルドは地域の環境と景観の保全に尽くし、何千本もの植樹を行い「パノラミカ・ゼニア」と呼ばれるトリヴェロと海抜1500メートルにあるリゾート地ビエルモンテを結ぶ14キロメートルの道路を建設した。

「ラニフィーチョ・エルメネジルド・ゼニア」の経営を引き継いだ創業者の息子のアンジェロとアルドは会社の完全な垂直統合を完了。コレクションとパターンオーダー事業が開始され、そして、生産と販売が国際化され、ミラノとパリに最初の単独ブランドショップをオープンさせた。その後、海外への事業拡大に着手、アクセサリーとスポーツウェアを新たに展開して製品の多角化を行った。1990年代の終わりにはブランド拡大及びライセンシングの包括的な戦略を実行し、アパレルからアクセサリーまでを展開するグローバル・ラグジュアリー・ブランドを作り上げた。

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ちなみに、アルドとアンジェロは父の志を継ぎ、イタリアアルプス山麓にトリヴェロとビエルモンテを結ぶ長さ14キロメートルの景観道路「パノラミカ・ゼニア」の建設を完了させ、従業員の福利厚生の重要性を理解していた2人は、1963年に住宅地を建設し、1965年にはビエルモンテにもう1つの住宅地とともにスキーリゾートを建設した。

2000年代に入ると、高級レザーアパレル企業の「ロンギ」ブランドを取得、また、シューズ&レザーアクセサリービジネスの世界展開のために「サルヴァトーレ・フェラガモ」社との合弁会社「ゼフェル」を設立。そして、「イヴ・サンローラン・ボーテ」社の販売による最初のエルメネジルド・ゼニアのフレグランス「エッセンツァ・ ディ・ ゼニア」を発売し、ブランドの多角化を更に推進した。

2004年にはイタリアのアイ・ウェアブランド「デ・リーゴ」社とのライセンス契約により、サングラスとメガネフレームの最初のコレクションが発表され、「エルメネジルド・ゼニア アイウエア」が実現した。2006年には「ぺロフィル」社がライセンス製造・販売する「エルメネジルド・ゼニア アンダーウェアコレクション」が発表され、同年、「トム・フォード」社と「トム・フォード」のプレタポルテとオーダーメイド紳士服、洋品、靴の世界市場での製造販売ライセンス契約を締結した。

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余談ながら、建築とデザインは、エルメネジルド・ゼニアのブランド拡大の重要な柱となっている。それを主導するのが、2007年に著名な建築家ピーター・マリノによって制作された初のグローバルストアのデザインコンセプト。以来、ミラノ、ニューヨーク、新宿、ドバイ、香港のグローバルストアがオープンし、2010年後半には上海のリッポープラザとラスベガスに出店が予定されている。

創業者の理念から生まれた価値観を受け継いでいくことが、エルメネジルド・ゼニアの今後の目標となる。その価値観は、ゼニアファミリーに限らず、ゼニアグループで働く1人1人の文化遺産になる。「品質は、環境と地域社会に対して敬意をともなう『美しさの文化』が存在する場所でのみ向上する」という考えを受け継いでいく務めは、2000年に創設された「ゼニア財団」と、1993年の「オアジ・ゼニア(ゼニアのオアシス)」の設立によって推進されている。

創業以来、ファミリービジネスの形態は変わってないが、現在は四世代目により経営されており、86カ国において555以上の店舗を展開する企業に成長した。高品質な服地と、その服地から作られるファッション性でも他メーカーの追随を許さない最高級スーツは、世界中の国家元首や著名実業家などを顧客に持ち、アメリカ、中東、ヨーロッパはもちろん、日本でも多くのエグゼクティブから支持を集めている。

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ちなみに、「ブルーラベル」は既製品向けに生産した服地に付けられるラベルで、オーダー用の服地には通常「レッドラベル」が付けらる。 これは各種専門店などで販売されるゼニア服地を使用して作られた既製服と、オーダーメイドで作られる高級注文服を明確に差別化するためのものである。

そして先日、エルメネジルド・ゼニアが、2014年に創業100周年を迎える自動車メーカー「マセラティ(Maserati)」社と3年間に渡るパートナーシップ契約を締結することがアナウンスされた。イタリアンスタイルを代表する両ブランドの技術や世界観を取り入れた製品を展開するという。

その第1弾プロジェクトとして、2013年発表の新型「マセラティクアトロポルテ」にエルメネジルド・ゼニアが手掛ける限定モデルが登場する。クアトロポルテは、マセラティを代表する4ドア車で、初代モデルは1963年に誕生。

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100台限定生産となる特別コラボモデルには、ゼニアのコレクションからインスピレーションを受けたデザインが施され、生地はイタリア・トリヴェロにあるゼニアのウール工場で生産された特注品が使われる。今後の国際モーターショーでお披露目となる予定だ。

100年の伝統がある両社の細部へのこだわりと最先端のテクノロジーが融合され、スタイルとエレガンスを象徴する新しいアイコンが誕生することが期待される。

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そして、2015年にはマセラティの全モデルでゼニアのカスタマイズオプションを選べるようになり、2016年にはゼニア限定のカラーやインテリアオプションが選べるオーダーメイドサービスも予定されている。両社は今後更なるコラボレーション商品を誕生させ、広告キャンペーンも世界的に展開し、大規模なイベント開催も計画しているという。

マセ好みの友人のファッションが、「エルメネジルド・ゼニア」バージョンになる日も近い…かも。