Touch the Heartstrings

心の琴線に触れる森羅万象を日々書き綴る「Touch the Heartstrings」

瀬戸内国際芸術祭2013

「瀬戸内国際芸術祭」とは、瀬戸内海に浮かぶ12の島々と香川県の高松、岡山県の宇野を会場に開催される現代アートの祭典で、第1回は2010年に開催された。トリエンナーレ形式で開催される芸術祭は、今年で2度目。今回は春・夏・秋の3期にわたって開催される。

ちなみに、トリエンナーレとは、3年に1度開かれる国際美術展覧会のことで、2年に1度開催される美術展覧会のことをビエンナーレという。1990年代以降は世界中にこうした国際美術展が増殖する傾向にある。多くは普段見ることのできない世界の美術を一堂に集めての美術関係者や住民同士の国際交流が目的であるが、もちろん町おこしといった側面もある。

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芸術祭の舞台となる瀬戸内海は、遥か昔より交通の動脈として多くの新しい文化を伝播する役割を担ってきた。瀬戸内の島々には伝統的な文化や美しい自然景観が残っているが、島々は高齢化や過疎化により活力を失いつつあるのが現状。「瀬戸内国際芸術祭」の開催で、島の住人と世界中からの来訪者の交流により島々の活力を取り戻し、島の伝統文化や美しい自然を生かした現代美術を通し、瀬戸内海の魅力を世界に向けて発信し、地球上のすべての地域の「希望の海」となることを目指している。

また、現代アートの作家や建築家と、そこに暮らす人々との協働によるアートという結晶体は、日々の営みに新しい発見をもたらし、世界中の人々を惹きつけ、地域と世界が交わるきっかけになる。「民俗、芸能、祭り、風土記という通時性」と「現代美術、建築、演劇という共時性」を交錯させ、瀬戸内海の魅力を世界に発信するプロジェクトなのだ。

固有の場所で展開されるアートや建築は、その場所へ人を惹きつける力を持つ。そして、瀬戸内の持つ美しい景観と自然の中で、それらは、人間が自然に関わるための「技術」となる。それは、舞台となるそれぞれの島で育まれてきた固有の民俗を活かし、島々で営まれてきた生活、歴史に焦点を当て、アートが関わることにより、住民、特に島のお年寄りたちの元気を再生する機会を作り出す。

今年の「瀬戸内国際芸術祭2013」会場は、前回の直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島、高松港宇野港周辺に加え、中西讃の島々である沙弥島・本島・高見島・粟島・伊吹島が新規参加エリアとなる。

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直島(なおしま)
近年は島の南部に美術館が整備されるなど、現代アートの聖地として世界的にも知られるようになった直島は、香川県高松市の北約13km、岡山県玉野市の南約3kmに位置する、人口が約3,400人の島。平安時代保元の乱で敗れた崇徳上皇讃岐国へ流された際、この島に立ち寄り、島民の純朴なことや素直なことに感動し「直島」と命名したとも伝えられている。幕末から明治時代にかけては芝居が盛んに行われ、現在でも女性だけの人形浄瑠璃「直島女文楽」がその伝統を受け継いでいる。

なお、建築家の安藤忠雄氏の活動と直島の歴史を伝える美術館「ANDO MUSEUM」が3月12日にオープン。直島の集落にある民家を改装した「建物自体も作品」のミュージアム。

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豊島(てしま)
直島と小豆島の中間に位置し、人口が約1000人の島。近年までおよそ千年にわたり石材業が基幹産業。特産品の豊島石は、京都桂離宮の灯篭でも使われるなど西日本各地に広がっている。牛を多く飼育し「ミルクの島」と呼ばれたこともある。戦後には乳児院が開かれ、福祉施設が多く整備された「福祉の島」でもあった。

島の西端で起こった日本最大級の産業廃棄物不法投棄事件は、廃棄物の問題を一気に我が国最優先の環境問題にクローズアップさせ、廃棄物政策の見直しを行う引き金となった。現在、廃棄物は海上輸送され、直島で無害化処理が行われている。

女木島(めぎじま)
約80年前、昔話「桃太郎」に登場する鬼ヶ島と女木島を結びつけた話が創作され、その後、鷲ヶ峰山頂にある洞窟が鬼の棲み処として観光地化された、高松沖合の約4kmに位置する人口が約200人の島。鷲ヶ峰山頂にある展望台では360度瀬戸内海を見渡すことができ、春には島をピンクに染める数千本の桜並木とともに景色を楽しむことができる。

女木港周辺には、防風防潮用に「オオテ」と呼ばれる高さ3、4メートルにもなる石垣が築かれ、独特の景観を作り出している。

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男木島(おぎじま)
女木島の北1kmに位置する人口が約200人の島。男木港から見える高台にある豊玉姫神社は安産の神様として知られ、島外からも多くの人が安産祈願に訪れた。1895年に設置された島の北端に建つ男木島灯台は、花崗岩を用いた美しいつくりで、日本の灯台50選にも選ばれており、「喜びも悲しみも幾歳月」の映画ロケ地として全国的にも有名になった。

陸生のヒメボタルの生息地でもあり、初夏の夜には山中で幻想的に明滅する光を見ることができる。また、ニホンスイセンの植栽がボランティアの手により毎年行われ、2月には数百万本の花が開く。

小豆島
瀬戸内海では淡路島についで2番目に大きな島。古くは「あずきしま」とよばれ、「古事記」には岡山県の児島の次につくられた島として登場。江戸時代には島外での販売を目的とした塩、醤油、素麺などが生産され、醤油や素麺は現在でも小豆島の特産品となっている。また、芝居が盛んに行われ、最盛期には30余りの常小屋があった。現在でも「農村歌舞伎」として、肥土山地区と中山地区の2カ所に残る「かやぶき屋根」の舞台で毎年上演されている。

壺井栄の小説「二十四の瞳」の舞台として全国的に有名で、約100年前に日本で初めてオリーブ栽培に成功したことから「オリーブの島」としても知られている。

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大島
高松港の北東約8kmに浮かぶ小さな島。もともと2つの島だったものが砂洲でつながり1つの島になった。古くは源平合戦の舞台にもなり、西海岸一帯には「屋島の戦い」に敗れた平家方の勇者を葬ったところに植えられたと伝えられる老松「墓標の松」に覆われた松林が、今も残っている。

1909年にハンセン病の療養所が設立され、1946年に国立療養所大島青松園と改称される。長らくハンセン病に対する社会的偏見と差別から、国の誤った政策により入所者が強制隔離されてきたが、1996年に「らい予防法」が廃止され、2008年には「ハンセン病問題基本法」が成立。現在は、園内で入所者の日常生活の介助・療養生活の支援と、ハンセン病を正しく理解するための啓発活動が行われている。

犬島
犬島にはうずくまった犬の形に似た巨石「犬石様」があり、犬島の名の由来となっている。良質な花崗岩(犬島みかげ)の産出で知られ、古くは江戸城、大阪城、岡山城の石垣、明治以降では大阪港礎石の切り出し場となるなど、全国各地で犬島の石が珍重されてきた。

1909年に犬島精錬所が開設され、営業していた最盛期10年の間には住民は3000人を越えていたが、精錬所閉鎖と採石業の衰退により、現在の人口はその50分の1以下となっている。

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高松港
高松は江戸時代を通じて城下町として発展した。明治時代以降、高松港は数度にわたる大規模な港湾の改修と鉄道の敷設を経て「四国の玄関」となる。

次々と船が発着する高松港は、入港船舶隻数が全国でも上位の屈指の旅客港で、島々へと渡る母港、城下町から発展した現代の市街地と瀬戸内海の結節点として重要な役割を果たしている。

宇野港
宇野港は、明治42年に宇野港第一期修築工事が完成すると、明治40年から始まった鉄道の敷設工事が明治43年に開通。それと同時に宇野~高松間の連絡船航路が開かれ、以降、本州と四国を結ぶ交通の要衝として重要な役割を果たしている。

産業では、造船業や鉱業等の製造業を中心に発展し、街並みは「造船の町」を色濃く映し出す。

沙弥島
沙弥島はかつては坂出港の沖合約4kmに浮かぶ小島だったが、昭和42年の番の州埋立事業により陸続きとなった島である。沙弥島はかつて狭岑島(さみねのしま)と言われ、万葉集ゆかりの島と言われている。690年頃、万葉の代表的歌人である柿本人麻呂が島に訪れ歌を詠んだとされている。島の北端のオコゾエ浜には柿本人麻呂の碑が、島の中部のナカンダ浜には、柿本人麻呂が詠んだ長歌と反歌二首が刻まれている柿本人麻呂歌碑が建てられている。

春には「沙弥島万葉まつり」が開催され、万葉スタンプ帖を片手に島を散策しながら、万葉の時代に思いをはせることができる。

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本島
瀬戸大橋の周辺に位置する塩飽諸島の中心である本島は、人口約490人で、塩飽水軍の本拠地であった島。塩飽水軍は、勇敢さと優れた操船・造船技術を有し、その技術の高さから、船方たちは時の権力者から高く評価されていた。幕末に、日本人の手で初めて太平洋を渡った咸臨丸の乗組員として活躍したのも塩飽の人達だ。

島内には、信長や秀吉、家康からの朱印状や古文書も蔵するかつての塩飽水軍の政所「塩飽勤番所」をはじめ、かつての繁栄を偲ばせる古い寺社、江戸時代から戦前にかけて建てられた家屋が残る笠島重要伝統的保存地区等があり、当時の様子を今に伝えている。

高見島
多度津町の北西の沖合約7.5kmに浮かぶ高見島は、南北に細長い円錐形の島。標高297mの龍王山を中心に南側には港を中心とした浜地区、山手側には浦地区がある。島の北側には板持地区があったが、現在は人が住んでいない。島の西側は険しい崖になっており、集落はない。

浦地区には、傾斜25度から30度の斜面に家々が階段状に建ち並び、石垣が自然石の乱れ積みでできているなど、島独特の佇まいが残っている。これらの多くは江戸時代に建築されており、塩飽大工とした活躍した島民の技術を物語るものとなっている。

粟島
かつて、北前船の寄港地としても栄えてた粟島は、瀬戸内海のほぼ中央、香川県西部に位置する荘内半島の沖合いに浮かぶ、3つの島が砂州でつながり船乗りの島にふさわしくスクリューの形をした人口約300人の島。海辺では夜空に輝く星のように幻想的な青い光を放つ「海ほたる」を観察することができる。

また、明治30年に日本最古の海員学校として設置され、昭和62年3月に廃校となるまで、90余年にわたって海の男たちを輩出してきた「国立海員学校」は、島の歴史と大きくかかわってきた。

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伊吹島
観音寺港の西方約10kmに位置し、安山岩花崗岩などからなる台状の島で、人口は約700人。伊吹島は漁業が盛んな島で、パッチ網漁、小型底曳き網漁、定置網漁などが行われている。特に、パッチ網漁で捕るカタクチイワシは、島で煮干イワシ(イリコ)に加工されており、「伊吹いりこ」としてブランド化されている。

伊吹島の言葉は、独特の特徴を持ち、古語に属する方言や特殊な敬語が多く、日本で唯一、平安時代のアクセントが残っていると言われている。話し言葉は、素朴でやや荒っぽく聞こえるのが特徴。

春の「瀬戸内国際芸術祭2013」は、2013年3月20日「春分の日」から4月21日までの33日間開催される。国内外のアーティストたちが参加し、計200点のアート作品がさまざまな場所で展示される予定。新たに会場となる島の数も増え、より一層、島と海の魅力と豊かな自然、そして、現代アートと瀬戸内の「四季」のコラボが楽しめそうだ。

ちなみに、夏は7月20日から9月1日まで、秋は10月5日から11月4日まで。会期中に芸術祭の作品と関連施設を鑑賞できるお得な作品鑑賞パスポートなども販売されている。

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