Touch the Heartstrings

心の琴線に触れる森羅万象を日々書き綴る「Touch the Heartstrings」

茶の湯

「茶道」とは、湯を沸かし、茶を点て、茶を振る舞う行為。また、それを基本とした様式と芸道のことであり、「茶の湯」とも言う。主客の一体感を旨とし、茶碗に始まる茶道具や茶室の床の間にかける禅語などの掛け物は個々の美術品である以上に全体を構成する要素として一体となり、茶事として進行するその時間自体が総合芸術とされる。

f:id:pleasegoodtimes:20130621054308j:plain

初めて中国から体系的に茶の知識を持ち込んだ書物は、唐の陸羽の書いた「茶経」と言われている。この本には、茶の木の育て方、収穫方法と道具、点て方、飲み方、歴史などが詳しく書かれている。

茶を飲む習慣と茶の製法は、平安時代遣唐使によってもたらされた。当時、中国茶は現代の烏龍茶に似た「だんご状」の半発酵茶と考えられており、この茶の色こそが現代日本人のいうところの茶色である。当時の日本人は、茶を嗜好品としてよりも薬として捉えており、必要量のみを煎じて飲んだと考えられている。

その後、鎌倉時代に日本に禅宗を伝えた栄西や道元によって薬として持ち込まれた抹茶が、禅宗の広まりと共に精神修養的な要素を強めて広がっていった。さらに、茶の栽培が普及すると茶を飲む習慣が一般に普及していった。

室町時代においては、飲んだ水の産地を当てる「闘水」という遊戯から「闘茶」という、飲んだ茶の銘柄を当てる一種の博打が流行した。また、本場中国の茶器「唐物」がもてはやされ、大金を使って蒐集し、これを使用して盛大な茶会を催すことが大名の間で流行した。これに対し、村田珠光は高価な唐物を尊ぶ風潮に対し、粗製の中国陶磁器などの粗末な道具を使用し、信楽焼や備前焼を茶の道の精神に至らぬものが使用することは言語道断であると語った。これが「侘茶」精神の始まりと言われており、人間としての成長を「茶の湯」の目的とし、茶会の儀式的な形よりも茶と向き合う者の精神を重視した。そして、大部屋では心が落ちつかないという理由で、座敷を屏風で四畳半に囲ったことが、後の茶室へと発展していく。

※続きはこちらでご覧ください。

広告を非表示にする