Touch the Heartstrings

心の琴線に触れる森羅万象を日々書き綴る「Touch the Heartstrings」

Grace of Monaco

1929年にペンシルベニア州フィラデルフィアのアイルランド系カトリックの裕福な家に生まれたグレース・ケリー。父のジョン・ブレンダン・ケリーは貧困層出身であったが、一代で建築業をもって成功した億万長者でオリンピックボート競技金メダル選手。そして、母のマーガレットはドイツ系で元モデルであり大学講師だった。

少女時代はおとなしく、赤い頬の人前に姿を現すのが苦手な子供で、3人姉妹の中でも真ん中のグレースが一番不器用であったという。その一方、ダンスやピアノを学び、やがて演技に興味を示すようになる。

ハイスクール卒業後に家族の反対を押し切り女優を志し、ニューヨークでモデルのアルバイトをしながら演技を学んだ。その後、1949年に舞台「父」でブロードウェイデビューした。グレース自身は舞台女優を目指していたが、後に舞台の出演中にハリウッドからお誘いがかかり、1951年、22歳で映画デビュー。

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デビュー作品を見た製作者のスタンリー・クレイマーが「真昼の決闘」でゲイリー・クーパーの相手役に抜擢し、映画監督アルフレッド・ヒッチコックのお気に入り女優となり、「ダイヤルMを廻せ!」「裏窓」「泥棒成金」などの作品でヒロインを演じた。そして、1954年に「モガンボ」でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、1955年には俳優ビング・クロスビーの妻役でシリアスな演技を見せた「喝采」でアカデミー主演女優賞を受賞した。

同時代の女優マリリン・モンローの明るさとセクシーさを前面に出した美貌とは対照的に、グレースの気品を湛えた美貌は「クール・ビューティーと賛美された。

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